論文の査読をしていて感じたこと

目次

1:論文の査読
2:日本発の論文は少ない
3:査読者のレベルも様々

論文の査読

定期的に論文を投稿している影響なのか、ときどき論文の査読依頼がきます。

基本的には日本国内の雑誌ではなく、海外の雑誌からの依頼です。

おそらくですが、日本の雑誌はどの先生に依頼するのかがある程度決まっているのではないかと思います。

海外にはオープンアクセスを含めて膨大な雑誌の数があり、決まった編集委員のみではさばききれないために、自分のような人間にも査読の依頼が回ってくるのだろうと考えています。

論文の査読は基本的にボランティアになります。

査読をすることで特に報酬がもらえるわけではありませんし、雑誌に論文が掲載された際にも特に誰が査読したのかという情報は基本的に開示されません。

雑誌によっては関連する雑誌や書籍の購入費用が割引になるサービスもやっているみたいですが、実際に使うことはあまりありません。

ただ、最近は論文の査読もひとつの業績として認めるような傾向もあるようです。

論文が雑誌に掲載されるためには、基本的に客観的な視点で指摘できる査読は必要不可欠であり、ある意味、著者との共同作業とも言えるわけなので、査読の業績が評価されるというのはありがたいことでもあります。

自分が査読を引き受ける際に参考にしているのはインパクトファクターがちゃんとある雑誌かどうかです。

別にインパクトファクターの高い雑誌を選んでいるというわけではなく、どんなに低くても良いので、ちゃんとインパクトファクターがついているというのが重要だと思っています。

雑誌の数は膨大であり、中には粗雑な雑誌も少なくありません。

そういう質の低い雑誌に関連する仕事をすることは、あまり有意義ではないと考えているため、できるだけ避けるようにしています。

日本発の論文は少ない

査読をしている際に、投稿者が誰か分からないようになっていると思う人も多いかと思います。

ただ、実際には多くの場合、査読者には投稿者の情報が開示されています。

なので、査読者は誰がその論文を書いているのか、ほとんどの場合で把握できています。

私のところに査読の依頼が来るのは主に放射線治療関連の論文になるのですが、日本からの投稿というのはかなり少ないです。

実際によく見るのは中国、韓国です。

私への査読依頼でアジア圏が多いのは、疾患や治療方針が似ていたりといった地域による特殊性で回ってくるのだと思うのですが、それにしても日本からの論文はほとんど見ません。

もちろん同じ国の中だと顔見知りということもあるので、そういった事態を避けているという可能性も無くはありませんが。

実際に放射線治療領域の雑誌に投稿されている論文を見ていても、日本からの論文というのはかなり少なく、中国の勢いを感じています。

ひと昔前は、中国の研究は、データ管理もいいかげんで、倫理的に許容されないものがあったり、やや下に見られるような印象でしたが、私は個人的にはもうそんなレベルでは無いと感じています。

もちろん中国の中でも下のほうを見れば、まだまだ論文と言えるレベルに達していないものもありますが、上の方の論文ははっきり言って日本よりも普通にレベルが高いと思います。

そもそもとして投稿されている論文の数が、日本と中国ではかなり違う印象であり、もはや日本は中国に研究分野で相当な遅れをとっていると感じています。

査読者のレベルも様々

前の記事にも書きましたが、査読者のレベルも様々です。

査読をしていると、他の査読者のコメントも見られるわけですが、こんな適当な査読で良いの?という場面にしばしば遭遇します。

これが稀ではないところがなかなか怖いところです。

投稿する側とすれば、適当な査読者はありがたいですが、雑誌のレベルを担保するという意味では、そのような査読者の存在は困ったものです。

特に私のパターンのように、突然査読の依頼が来るようなパターンでは査読者のレベルを担保するのもなかなか難しい問題だと思います。

最近ではChatGPTのようなAIを査読に活用して、業務の効率化をはかるみたいな話もありますが、私は現時点ではAIの能力に懐疑的です。

特に、科学研究のような専門性の高い領域においては、まだまだAIは実用的では無いと考えています。

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